🧠学びのメモ
犯罪(特に日本で発生するもの)について研究することが長年のライフワークになっておりまして。今回は世間学的な見地から、日本の犯罪や司法の実際について少し解説してみたいと思います。
事件事故の報道って、目をつぶっていても毎日目に入ってきますが、その裏側というか広域な視点を獲得すると、見方が変わっておもしろいですよ。(こういう発言も不謹慎として世間様に裁かれるのが日本でした。いや失敬。)
📌いちおう法治国家なんだけども…
現代では、先進国は「法治国家」が多いです。
日本も一応法治国家でして、当然独裁者はいないわけです。
ですので私たちは、私たちの行動を縛るのは「憲法や法律」だけだと思って生きているわけですが、実際はそうではないんですね。
端的に言うと、「世間」や「空気」といったものに、日本人は強く縛られています。
世間、空気!今日のパワーワードです。覚えておいてください。
場合によっちゃあ、法律よりも世間に縛られていると言って良い。
これは、外国人には理解が難しい現象かもしれませんね。
日本の刑事司法の実務では、とあるユニークな特徴があります。
それは、罪を犯してから裁かれるまでの一連の刑事手続きの中で、その節々に「ゆるし」が発動されることです。
「まぁ、このへんで勘弁しといてやる。」
ってことですね。
これは西欧には無いものでして、日本オリジナルの、摩訶不思議な特徴です。
逮捕されて裁判になった経験のある人は少ないと思うので、まぁ想像力をたくましくしてください。
例えば、
「飲酒運転をして女子高生をひき殺した、鈴木さん(40歳、会社員、妻子あり)が逮捕された」
としましょう。
📌「ゆるし」のプロセス
日本では、窃盗なり暴行なり、何かしらの罪を犯した場合、捜査官側の意思決定プロセスとして、ざっくり以下のルートを辿ります。
①事件化するかどうか(司法警察職員や検察官)
②逮捕するかどうか(警察官、検察官)
③起訴するかどうか(検察官)
④刑罰をどうするか(裁判官)
このプロセスの都度都度で、「まぁ、許してやるか。」ということで、許されることがあります。
警察に逮捕されてすぐに、
犯人「申し訳ございませんでした!一生を掛けて償います。どんな罰でも受けます🙇」
と、しおらしく言った場合と、
犯人「飛び出してきた奴が悪いんだろ!ファック!ざまぁみろ!俺は悪くない。被害者だ!」
と開き直って悪態ついた場合とでは、受ける印象が全く違うでしょ。
こういう犯人は、警察や検察以前に、「世間」が絶対に許さないわけですね。
ワイドショーネタになりメディアに煽られ、世間からは大バッシング。そういう光景いつも見るでしょ。
世間「けしからん!厳罰を!」
という空気が、日本中に形成されるわけです。
少しだけ難しい話をしますが、
逮捕する・しないの判断は、令状主義(捜査機関が行う犯罪の捜査の内、強制捜査・強制処分については、裁判官の発付する令状に基づいて行われなければならないという考え方)はありつつも、実質的には警察官(&検察官)のさじ加減なわけです。
起訴する・しないの判断は、起訴便宜主義というルールがありまして、要は検察官のさじ加減です。
特に検察官の場合、「独任制官庁」といって、合議を必要とせず自分1人の裁量権で起訴できる強い権限を持っています。なので、起訴される・されないは、担当検察官の胸三寸で決まります。
雑な言い方をすると、検察官が「こいつは許せん!」となれば起訴だし、「まぁ許しといてやる。」となれば不起訴です。(実際は、検察官同一体の原則があるため、一応ピラミッド組織で上司の決裁を仰ぐ形は取っているのですが。)
世間サマが、
「けしからん!」
と言っているからこそ、警察や検察も「許さん!」とやるわけです。
つまり、「世間の空気」が警察・検察を動かしているんです。
世間が「けしからん!」絶対に許すな!と言っている場合、警察や検察はその犯人を「ま、許してやるわ~。」とやることはあり得ません。
そんなことをしたら、自分達が批判の的になって「世間」から攻撃を受けますから。
ね、だいぶ人間臭いですよね。