リモートワーク vs ハイブリットワーク
この記事読みましたか?面白すぎるなぁ~と思って。
「リモートワークをやめるか昇進を諦めるか」の2択を迫られたDell従業員の約半数が昇進を諦めたと報じられる
内容としては、リモートか?出社か?みたいなよくある話題です。
完全リモートの社員は出世させないことにしたというDell社の決定について書かれています。
完全リモートはNGだけど、ハイブリットならOKと。
ハイブリットは、3カ月で最低39日出社しなきゃダメ。週3以上出社ね。これ、結構な割合ですよね~。
その中で特に僕がウケたのは、
『オフィスに通勤するハイブリッドワーカーを選択した従業員は、ほとんど誰もいないオフィスで仕事をして、同じく他に人がいないオフィスで仕事をする相手とビデオ通話している』
とのこと。
こんな感じ?
ワロスというか、なんだかなぁー。
リモートか出社かの二元論
出社かリモートか?という二分論に立つ論調に、ぼくは否定的です。
今後は、ざっくりこんな感じになるのかなぁ~
ガラガラのオフィスに出社することへの懐疑
出社する社員分の椅子しか用意しないオフィスへ(ガラガラの解消)
「出社するが無能な者」を昇進させて、「リモートで優秀な者」を昇進させないことへの懐疑
会社オフィスではなく社長やリーダーのいる場所にメンバーが集まって仕事するということが本質であり、細分化が進む
会社の自社ビルだけでなく、コワーキングスペースなど仕事場は本質的にはどこでも良いよね~となる。
法人ではなくより個人に焦点が当てられる価値観へ進み、働き方の選択権は個人へ。(分権化)。一種の群れ(グループ)単位がより意識されるようになる
会社単位ではなくプロジェクト単位での働き方が今後加速するということとはまた軸の違う話
働く場所は、チームごとに毎月変わるだろうし、集まるのはもちろん毎日じゃなくて良い。社員全員が揃うことなんて多分きっとない、というか揃う意味がない。
自宅は慣れ親しんだ場所だが、仕事のためにいつも最適な場所とは限らない
働き方、ライフスタイルが多様化する中において、今後どのような需要が作られていくのかを妄想しながら、受け皿を作る人が続出しだす
リモートを基盤としつつ、『どこで誰と働くか?』ということがコトの本質だと思う。
その意味で、コワーキングスペース・レンタルスペース・宿泊施設などの場所を提供する産業は、これまでよりも更に重要な意味を持つようになる。別の呼び名も産まれる。
そんな感じかしら。
リモートワークは生産性が低い説
オフィスワークよりもリモートのほうが仕事の覚えが悪く、生産性が10~20%ほど下がるといった報告はチラホラ散見される。まあそうなのだろう。実感値としてもよくわかる。
ただそれは、慣れの問題や、ツール面(ハード、ソフト)の問題も大きくあるんだと思う。
コミュニケーションの取りづらさが大きく影響していそう。
日々の業務から得られる満足感、達成感なども低くなりそうだということは容易に想像が付く。
部活で盛りあがったあの青春のノリみたいな楽しさはリモートで味わうことは厳しいだろう。
取り組む仕事の性質によっても大きく代わってきそうだが、限界を超えることも難しそうだ。
やはり、いわゆる「情報量」が、現代技術でのリモートワークでは圧倒的に欠如しているのだ。
そういう意味では、「人類にリモートワークは100年早い。」と思う。
が、権利だ自由だ多様化だという波が先に押し寄せてきてしまっているから、抗えない。100年なんて待ってられない。
米国では、在宅とオフィスを組み合わせたハイブリッド式が中心となっている。
マッキンゼーが自社従業員を対象に実施した大規模分析によると、ハイブリッドワークでの出社・リモート比率が50%がスイートスポットらしい。
それ以上オフィス勤務が増えると、柔軟性や集中タイムが失われ、パフォーマンスは向上しない。
だが別の調査では、ハイブリッド式は生産性にまったく影響を与えないが、従業員の幸福度が大きく向上し、退職の可能性は下がるという。
要は、自由と自由感のバランスの乖離が起きているので、ある程度のトコロ(新たな自由感の最適値)まで新たな「自由」を拡大しなければ人々は納得しないということなんだろうと思う。
皆さんは今、どの程度の自由があれば満足できるだろうか?
その答えは、コレまでの自分の自由度がどれくらいだったかによって個人差が大きく生じる。
自由に「慣れ」ると、更なる自由を求めなければならなくなるということだ。
完全なる自由などと言うものは、この人間社会では存在しない。
まあ色んな調査と観察があるので、今後も注視していきたい。