アンパンマン洗脳と道徳教育
アンパンマンの物語は、とても単純な構造です。
悪者が登場し、悪さをし、アンパンマンと仲間たちが協力して彼らを打ち負かしてこらしめ、スカっとする。というパターンがほとんどです。
このような物語は、特に幼い子どもたちに向けられており、善悪のはっきりした世界を提示することで、彼らに道徳的なメッセージを伝えようとしています。
しかし、現実はそんなに単純では無いし、善悪・白黒がハッキリつけられることは逆に少ないと言っていいのではないでしょうか。
つまりこの物語はフィクションであり事実とは違うにもかかわらず、さも事実であるかのように子ども達の洗脳道徳教育として施されているということは問題ではないかと感じています。
事実は小説よりも奇なり
人間は、「物語(ストーリー)」を非常に好む生き物です。
架空のストーリーを生み出す能力こそが、我々をここまで発展させてきたのだと、「サピエンス全史」には書かれています。
現代人は、物語に多様性を求めています。
事実は小説よりも奇なり。
自分の知らない分野についての込み入った物語に触れると、我々の脳は喜びます。
例えば、ヤクザな世界や警察の世界、政治の世界などはその鉄板です。
実際には大した物語は存在しないのかもしれないが、あれやこれやと壮大な物語が展開されていると想像することができる。わからないしダレにも完全否定はできないから、言いたい放題やりたいほうだい、どんな物語であっても否定できない悪魔の証明だ。
だから、一部の人しか本当に知らない(そして知っていても教えられない)領域をテーマとした物語は、ウケる。
ドラマが毎回毎回警察モノが多いのも、そんな見方をすればうなずけるというもの。
その一方で、そういった「脳にウケる」ジャンルの物語であっても、そのストーリー構成は「アンパンマン的」だと感じるものも多い。
たまにそうではない壮大な時間軸で描かれる物語もあるが、そうなると「アンパンマン脳」な人達は取り残されてしまい、ついてこれなくなる。
私はこれまでそういう現象をよく目にした。
アンパンマン脳
ここで、「アンパンマン脳」という単語が出てきた。
辞書をひくと、次のように書いてある。
アンパンマン脳(あんぱんまん-のう) ー (英 Anpanman Brain)
[名詞]
子ども向けのアニメや物語のような、短絡的なストーリーにばかり没頭し、複雑な物語や深い洞察にとって長い時間を費やすことが難しい状態を指す。
この状態の人々は、即座に悪が正義によって打ち負かされ、問題が解決し、最終的にスッキリするようなストーリーにのみ興味を持ち、その他の物語やコンテンツには関心を示さない傾向がある。アンパンマン脳の人々は、複雑なテーマやキャラクターの発展に対する関心が低く、よりシンプルで明確な物語を好む傾向がある。
用例
「あいつはアンパンマン脳だ。どんな名作の映画でも、30分で解決しないとすぐに飽きてしまうんだ。」