今回は、僕たちは「人の本性は醜悪で、世界は悪い方向に向かっている」と思い込んでいるけれども、実はそうでもないんじゃないかという話をしていきます。
📖架空をつくる物語の力
僕らの人類が、他の似たような種族を押しのけてここまで発展したのには、ある重要な能力が影響していることが知られています。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書「サピエンス全史」では、人類が地球上で支配的な種となった理由の一つとして、物語を伝える能力が挙げられています。
この能力により、僕たち人類は大人数で協力することが可能となったわけです。
結果として、ここまで文明を築くことができた。
物語は、人々が共有する信念や価値観を形成するのに役立ちます。
例えば、国家や宗教、企業といった抽象的な概念は、人々が共通の物語を信じることで成り立っています。
日本語で物語って言うとわかりにくいかもしれませんが、ここでいう物語というのは、実際には存在しないもの、「架空のモノ」全般を指します。
サピエンス全史の原著『Sapiens: THE MULTI-MILLION COPY BESTSELLER』では、
"narratives(物語)" "stories(ストーリー)"
"shared myths(共有神話)" "collective myths(集合的神話)"
といった言葉が使われています。
これらの物語は、見えないもの、触れられないものを現実のものとして扱うことを可能にし、大勢の人々が協力して行動する基盤を提供します。
例えば、神や宗教などがそうですし、会社や権力などもそうです。
これらは、人間がこしらえた架空の概念です。
言語を使って複雑な情報を伝え、未来について話し合い、共通の目標に向かって協力する能力は、人類の社会や文化の発展に不可欠でした。
この力は、現代社会においても変わらず重要です。
私たちは物語を通じてアイデンティティを形成し、社会を構築し、未来を想像します。物語は、人類がこれまでに達成したこと、そしてこれから達成しようとしていることの中心にあります。人類がこれだけ発展したのは、物語を伝える力があったからこそ、と言えるでしょう。
さいきん流行している「コミュニティ」周りの話も、このような前提で見れば何ら不思議なことはありません。
コミュニティを、1つの”世界・集落”として捉えると、その中で”村長”が意図を持って一種の物語を作り、流布することは、そのコミュニティの発展に寄与します。
その物語が真実かどうかに関係なく。
📈思い込みによるプラセボ効果
僕らの「思い込み」には、本当にそれを現実にしてしまう力がある。
そのことは、以前の記事でも解説しました。
これはスピリチュアルではありません。
なぜなのかはかはよくわからないが、とにかく思い込みにはそれを現実かする力があることは事実として知られています。
偽薬や偽注射、偽の外科手術を、そうと知らずに受けると、患者の症状が改善してしまう。
ちなみに、偽薬<偽注射<偽外科手術 の順に効果が高いです。
仰々しいことをやればやるほど、人間は効果がきっとあるはずだと信じ込むからです。
もちろんプラセボは万能薬ではありません。
プラセボですべての癌が治癒すればそんなに良いことは無い。もちろん、プラセボでは直らないこともある。魔法では無い。だが確かに効き目はある。
そして、その「思い込み効果」は、良い方向だけでなく、悪い方向にも作用します。
📉ノセボ効果
悪いことも、思い込めばそれは現実になります。
それがノセボ効果です。
ノセボ効果を語る上で有名なところで、1999年に発生した『ベルギーコカ・コーラ事件』を紹介します。
1999年 ベルギーコカ・コーラ事件
ヨーロッパ全土で大きな騒動となった公衆衛生の危機です。
この事件の発端は、1999年夏にベルギーにある学校で9人の子ども達が昼食後に急に具合が悪くなった。症状は、頭痛、嘔吐、動悸。原因不明だったが、教師が「休み時間に全員がコカ・コーラを飲んだ」という共通点を見つけ出した。マスコミが話を聞きつけ、コカコーラ社は大規模な自主回収をするとともに、原因究明を開始した。しかし事態は悪くなる。
この学校のみならず、ベルギー中に広まり、フランスでもコカコーラを飲んで倒れる子ども達が急増し、結果的に1000人以上の少年少女が同様の症状を示して倒れた。
コカコーラのみならず、ファンタ、スプライトなども怪しいと疑われ、大規模な自主回収騒ぎとなり、結果的に同社には2億ドル程度の大損失となった。
事件の数週間後、毒物学者達は調査報告書を出した。
結果は、コカコーラの中からは何も見つからなかったという。毒物も、ウィルスも、有毒金属、もなにも。数百人の患者の血液と尿も検査したが、原因となるような物質は何も検出されなかった。これは、どういうことか?
子ども達は確かに苦しんでいた。それは事実。しかし、それはコーラに含まれる何らかの毒物のせいではなかった。旨、研究者は語っている。
当時、日本でも報道はあり、
日本で販売しているコカ・コーラ社製品は安全。
日本コカ・コーラは「日本のコカ・コーラ社製品は、原液および容器を含め、すべて日本で万全の品質体制のもとに生産しており、安心して飲んでもらえる」と呼びかけていた。
傍論
※日本だと『1977年 青酸コーラ無差別殺人事件』という未解決事件が有名ですが、これとはまったくの別モノです。
※更に全く関係ないが、コーラと聞くと小説家の山崎ナオコーラ氏を思い出すのは私だけか。私的な代表作は「論理と感性は相反しない (講談社文庫)」。なお、オーディオブックで聞くと記憶への定着の仕方が明らかにかわる。資格情報が座標と共に加わる。目が明いているから、ながら聞きするからだろう。これは同じ小説を読むという行為でも、体験が全く変わりうる。
この事件、色んな情報が錯綜して何が本当かわからんっていうところでもあるのですが、上記で紹介した流れがどうやら真実に近いっぽい感じではあります。
最近になって浮上したのが、『実はコーラには何も異常はなくて、集団心因性疾患だった。』という見方です。(最近というか、当時からそれは言われていましたが、最近改めてこの可能性を指摘されています。
つまり、「ヤバイョヤバイョ!」とみんなが声高に叫ぶものだから、コーラを飲んだ子達が次々に、「ヤバいかも」という思い込みによって腹痛や体調不良に襲われて倒れたのではないか?というもの。コーラに何も異常は無かったにもかかわらず思い込みによって倒れてしまったのだろうと。
まさに、思い込む力、プラセボの逆、「ノセボ効果」だ。
最初の9人の子ども達は、ひょっとしたら本当に何らかの異常があるコーラを飲んだのかもしれない。
そうじゃなきゃ突然同時に9人倒れないだろう。それも集団心因性疾患である疑いはゼロではない。通常とは違う二酸化炭素の炭酸ガスが混入したなどという調査報告も見当たったが、これが直接、頭痛、嘔吐、動悸などの症状を引き起こすモノかというと疑わしい。つまりここでもノセボ効果。
ヤバいヤバい死ぬ死ぬ死ぬぅやばいーーーーって思うと、ほんとにヤバい症状が出る。雑に言うとそんな感じ。
仮に、最初の症状が出た子ども達が飲んだコーラには、これらの症状を引き起こすような化学物質が混入していたのだとしても、他の1000人以上のケースで、事後調査で何も毒物が検出されなかったということは、まぁ明らかに「ノセボ効果」のなせるワザだろうなぁという推察は説得力がある。
ノセボ効果の話をしたのは、「悪いと思い込むと、その通りになる」ということを、まず示したかったからです。
僕たちは、「思い込みが現実になる」ということをもっと強く認識した方が良いと思うのです。
話を先へ進めます。
💭思い込むから、本当に現実になる
例えば、三井住友銀行がヤバいらしい、倒産する!と思い込んだとしよう。
本当は別に何の問題もなかったとしても、多くの人がそう思い込んで、「念のため資金を引き揚げておくか」と考えて一斉に資金を引き揚げたとしたら結果的に本当に三井住友銀行は倒産する。
また、1990年代に経済学者が行った実験で、人間は利己的だという見方が学生達に及ぼす影響を調べたものがある。結果は、経済学を学べば学ぶほど学生達は利己的になっていったという。この実験で、実験者は「我々は教えられた通りの人間になる」と結論した。
そもそも経済学では伝統的に、我々人間のことを「ホモ・エコノミクス」と定義して、つまり人間は利己的で計算通りに動く生き物として定義してきた。
でも、このメルマガの読者のみなさんは知っての通り、人間とはそれほど合理的に動く生き物では無い。色んな認知バイアスがあるし、自分の利益を犠牲にして他者の利益のために動いたりすることも普通にある。
では「ホモ・エコノミクス」なんていう生き物が、いったいどこにいるのだろうか?経済学の土台になっているこの架空の存在を、経済学者たちはずっと調査していたが、そんな人間はどの部族であっても見つからなかった。だが最近になってようやく見つけたが、それは人間ではなくチンパンジーだった、なんて笑えないオチまでついている。
当然、今ではやっとこのモデルは見直され始めてきた。
とにかくここで言いたいことは、「人間は思い込むと本当にそうなる」ということ。
💀人間の本性は醜悪で、この世は地獄で破滅に向かっている!……のか?
「人間の本性は醜悪で、この世は地獄で破滅に向かっている!!」
こんな見方が、いま人類の間でたいへん流行しているのは知っての通り。
大ブーム。みんな、大好きでしょう。
前述したとおり、そう思い込むことで、自分も醜悪な人間になってしまうかもしれない。
もちろん、現実の世界観はそんな悲惨なものとは違う。にもかかわらず、本当にその悲観的な世界観が事実だと思い込んでいる人が多数派なのだ。あなたにしても、そうだろう。
なぜそんな風に歪んだ世界観になってしまっているかと言えば、ニュースやSNSの影響が非常に大きい。
ニュースではひっきりなしに、センセーショナルな事件事故の話ばかりしている。(バカの1つ覚えみたいに毎日毎日)
殺人強盗強姦拉致監禁、虐待、戦争、テロ、略奪、飛行機事故。
心がざわざわするワードばかりだ。
これらのワードを見ない日は無い。
人は、多く目に触れる情報を重要だと判断する傾向がある。こういう悲惨な事件事故に多く触れていると、「世の中ではこんなことばかり起こっているんだな。」と認識してしまう。しかし、それは事実誤認だ。事実はその真逆なのだから。
世界中でベストセラーになったファクトフルネスを読むと、僕たちが思っている以上に世界はよくなっているということがわかる。
日本だけでなく、西洋でも東洋でも世界中で、人間や世界に対してネガティブで悲観的な見方をする傾向がつよい。
それはなぜか?
平たく言うと日々のニュースのせいだが、それは僕ら人間に「①ネガティビティバイアス」と「②アベイラビリティバイアス」が働いていることと強く影響する。
①ネガティビティバイアスとは
良いことよりも悪いことに敏感に反応する習性のこと。かわいいネコちゃんとライオンが同時に現れたとき、僕らの注意はライオンに持って行かれる。恐い方に注意が向かないと、人間は死ぬ。ねこちゃんかわいいね~かわいいね~よちよちよち~。とかやっている間に、ライオンに食い殺される。だからこのバイアスが備わっている。
②アベイラビリティバイアス
手に入りやすい情報を頼りにして意思決定する習性のこと。良く思い出しやすい情報=頻繁に起こることだと誤解する。毎日のようにニュースで見聞きする悲惨な事件、戦争、ひどい出来事。これらをあまりにも日常的に頻繁に目耳にするとどうなるか?それがさも、世界中で、私たちの身の回りで頻繁に起こっていることなのだと誤解し、その事実誤認をもとにして意思決定を下すことになる。
とある経済学者は言ったらしい「ニュースを見るには、わたしたちは理性が足りない」。痛烈な自虐だ。
人間にこのようなバイアスが備わっていることを熟知しているからこそ、メディアは連日連夜視聴率を稼ぐために、センセーショナルでヒドイ報道をバンバンやる。
🛫飛行機事故の数と、飛行機事故報道の数
飛行機事故はたまに起こる。これは仕方が無い。一定の確率で起こる。
だが、飛行機事故の数は昔に比べて減ってきている。
しかし、報道の数は逆に増えている。
世界で年に1度しか起こらないようなことを毎日毎日報道して、さも毎日起こっているかのような気にさせて刷り込む。それがメディアだ。注意されたし。
💥人間の道徳性は薄いベニヤ板のようにすぐ割れる?
過去の偉大な学者達は、人間の道徳性は、少しの衝撃で簡単に壊れて本性が現れると言ってきた。つまり人間の本性は醜悪であると。
しかし近年になって、それは明らかに事実と違うだろうという指摘がされはじめている。
メディアも時に思い込みでウソを報道する。そうだと信じることしか信じないから、どうせそうであろうということを憶測で報じる。それはSNSではもっと顕著だ。
真実がどうかなんて事は関係ない。そう信じるからそう見えるし、人はこういうとき醜悪になると信じている人間は、本当に自分自身がそういう時になったら醜悪に振る舞うかもしれない。
しかしどうだろう。
9.11アメリカ同時多発テロで、ビルに飛行機がつっこんだとき、ビルに居た人が避難する様子はどうだっただろうか。パニックになり、人を押しのけ我先にと逃げ惑い、殴り合い、殺し合いが起きただろうか。事実はまるで違った。整然と階段を降りて、急ぐ人のために片側を空けて歩いていたという。救助へ向かう人や急ぐ人のために「お先へどうぞ」と言って道を譲ってまでいたという。
急いで逃げなければ自分が死ぬかもしれない、一刻の猶予も無い極限の状況下で、人はこのようにふるまったのである。これはアメリカ人特有のイレギュラーな気質というわけではないだろう。
僕たちは、いざというときは人間は他人をブチ殺してでも自分が生き残る、自分の得になることをする生き物だなんていう思い込みがある。だがそれは残念ながらフィクションで誤りなのだ。
だがそれがフィクションだということに気付けていない。
多くの人は、性悪説”教”にハマってしまっているから。
人間は性善説か、性悪説か?なんて問いは大昔からあるようだが、99%の人々がなんだかんだで性悪説的な価値観を信じ込んで生きている。
それが、さも当たり前でしょうという感じで生きている。
東日本大震災で、日本の被災地では暴動や略奪がほとんど発生せず日本すごい!なんて言われた。それはそうだろう、人間は僕らが思い込んでいるほど醜悪な生き物では無い。
極限に追い込まれてこそ、最高に他人に親切にできてしまう不思議な生き物なのだ。
ムダに「日本人だけがすごい!」と思い込まない方が良い。別にこれは日本人が特別自己犠牲の精神に優れていてすごいわけではない。他の国でも実は似たようなものだ。
🌀ハリケーン・カトリーナ
2005年にアメリカ南部を襲った巨大ハリケーン・カトリーナの被災時になにが起こったか。
死者が少なくとも1,836にものぼった壊滅的な大災害。
被災当時、現地新聞などは連日、被災地が無法地帯でカオスになっていることを報じ続けた。
レイプ事件や発砲事件が頻発しており、ギャングがうろつき、略奪が横行し、救助ヘリが狙撃されたと報じた。
避難所のスーパードームには25000人がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、二歳の幼児が喉を切られ、7歳の子どもがレイプされて惨殺されたとも報じられた。
現地の警察署長は、「現地は無政府状態に陥っている」と警告。
ルイジアナ州知事も「最も怒りを感じるのは、このような災害がしばしば人間の最悪な性質を引き出すことだ」と述べ、この発言は急速に広まった。
イギリスの高名な歴史学者も、ガーディアン紙に寄せたコラムで「食料、避難所、飲料水、最小限の安全が奪われると、人間の大半はサルに戻る」ということを述べた。
まさに、「人間の本性は醜悪だ」を証明するようなストーリーだろう。
だが1ヶ月が過ぎ、マスコミ・ジャーナリスト達がこの話題に飽きて他のニュースの話題に興味が写ったころ、研究者達が現地入りし、何が起こっていたのかを調査した。
その結果、報道のほとんどはウソだということがわかった。
・銃声に聞こえたのはガソリンタンクの安全弁が外れる音だった。
・避難所のスーパードームで無くなったのは、25000人のうち6人。
・うち4人は自然死。1人は薬物の過剰摂取。1人は自殺。
・レイプや殺人に関する公式報告が1件も無かったことを、後に警察署長がしぶしぶ認めた。
略奪は起きたが、暴徒化して暴れ狂ったわけでもなく、皆が生き延びるためにチームを組んで行ったものであったし、なんと一部では警察も協力していたという。
これらの結果から、デラウェア大学の災害研究センターでは、「緊急時に観察された行動の圧倒的多数は社会のためになる行動だった」と結論した。
民間で救助隊が組織され現地で様々な救助・支援活動も行われたようだ。
要するにハリケーン・カトリーナの大災害時、人間は利己主義も無政府状態も引き起こさなかったというのが事実なのだ。それどころか、被災地では勇気と慈善に満たされた。
デラウェア大学の災害研究センターは1963年以降、700件近くのフィールドワークを行い、災害時に大規模な混乱は起きないことを明らかにした。映画でよく描かれるのとは逆に、自分勝手な行動は起きない。総じて、殺人や強盗やレイプなどの犯罪は減る。人はショック状態に陥ることなく、落ち着いてとるべき行動をとる。略奪が起きたとしても、それは利己的なものではなく、生きていくために必要な物品や食料をタダでみんなに大量に配ったり、分かち合ったりする利他的行動へ繋がっている。
大災害は人々の善良さを引き出す。それが残念ながらリアルなのだ。
それなのに、メディアは、災害の旅に逆の印象を植え付ける。
何が本当なのかわからなくなったら、思い出そう。
僕ら人間は、極限の状況に追い込まれてこそ、良い人になってしまうのだということを。
🌍世界の見方と捉え方
Webというものがこの世に出るまで、僕らはTVやラジオというメディアを通じてしか世界を知るすべは無かった。だからあれもこれも統制されて、都合の良い世界を見させられてきた。(戦時中の日本が良い例だ)
だがWebが世の中にできて、Web2でSNSができたからといって、世界のすべての真実がわかっていると思わない方が良い。
相変わらず情報はゆがめられているし、僕らは僕らの都合の良い情報しか集めようとしない。
なまじ、自分では調べた気になり、知った気になっているものだから、ますます意固地になってしまうかもしれない。
性善説か性悪説か?これは思想信条の問題では無くリアルとしてどうかということを知れば自ずと答えができる。ファクトを知る力。ファクトを知りたいという欲望と飽くなき探求。これだけは捨てない方がよさそうだ。
💢コミュニティと敵意
メディアだけでなく、コミュニティやビジネス周りでも、悲観的な物の見方をする人や、他人を悪者に仕立て上げようと必死になっている人がよくいるけれど、そこには、そうであったほうが得をする人がいるということに他ならない。
世の中で悲観的な物の見方が優勢なのも、その方が今の権力者にとって有利だという事です。
コミュニティであれば、コミュニティを統べるモノ、利益を得る者にっとて有利だという事です。
”事実”とは関係ない。彼らにとっては事実なんてどうでもいいのでしょう。
法律や、あらゆる縛りや管理システムも、もとはといえば性悪説に立っています。
性善説に立ったあ、あれもこれも縛りは必要無くなります。
選挙のありかたも変わってしまう。
それで困るのは、現在得をしている人=今権力を握って支配している人たち。
です。
だからこそ、この世界観はひっくり返らない。
コレ、何かに似ていると思いません?
地動説、天動説。
性善説、性悪説の構造と、状況がよく似てるなーーと思いません?
人はずっと性悪説を地盤にして生きてきたが、ここへきて、性善説であるという証拠が色々と示されてきた。けれどもそれらは見向きもされない。頭お花畑かよと言われる。性善説がいいなーとおもっても、やはり心のどこかでは他人は恐くて信用出来ない。
コペルニクス転回に至る少し前の、まだ天動説が世界を支配していた頃、地動説に気付いて吹聴しはじめた者たちは、それを口にしたらブッ殺されました。
その頃の様子を描いた「チ。―地球の運動について―」というマンガはなかなか面白いですよ。
💣テロリストとコミュニティ
テロリスト=悪と決めつけるのは簡単。
「テロリストは残虐非道で極悪な鬼、人間じゃない。」と考えている人は多いことでしょう。
でも本当にそうでしょうか。事実は多分違うと思います。
彼らも、僕らと同じ人です。そして、彼らは内々ではめちゃくちゃ仲が良く結束力が強い。みんな親友みたいな感じの強い結束があります。
戦争やテロが起こるのは、人間の共感能力の高さのせいだという見方があります。
共感能力が高いと、他人を「内と外」とに分けるようになります。
仲間が傷つけられたら、相手は”敵”。敵な醜悪な奴ら!同じ人間じゃ無いと思うことによって、メチャクチャなことをやっても心が痛まないようにもします。鬼畜米英!ジャップ!
仲間内に強く結束する反面、その外側は”敵”として攻撃の対象となってしまうわけです。
それが、戦争やテロが世界から無くならない理由だ、という説明もあり、納得感があります。
つまり戦争やテロというものは、人間が醜悪で暴力的な存在だから引き起こされるものではなく、むしろその逆で、優しいから、他者に共感する能力がとても高いから起こるのだ(=仲間内で強く結束し、その仲間を守りたいために外側の敵を攻撃する)という説明もまた説得力が高いと思いませんか?
最近ネット上で流行っている「コミュニティ」というものも、相当に厄介なシロモノだなと思って見ています。
無論、コミュニティ自体はこれまでもにも存在しました。
ですが、ネットの世界でコミュニティというものの重要性が増し、オンラインサロン・SNSの次のトレンドだ、といった熱を帯びつつある気配を感じます。新しいトレンドでしょう。
このコミュニティという概念は、テロの事例と同じく、内向きにかなり強い仲間意識と同調性を発揮する一方で、外に対して非常に強い排他性と攻撃性を帯びます。
そして、そこに集まってくる人はどういう人なのかというと、他者を信じやすい人です。
自分が信じる人・信じたいことを信じたいから信じる。内向きに熱狂する人達です。
言い方が非常に語弊がありそうですが、彼らは大なり小なりテロリスト化します。予備軍です。
もう既に、いまでもそういうことあるでしょ?
知ってますよね。見てますよね。
なにも、ビルに爆弾持ってつっこむことばかりがテロではありません。
国を標的にするものをテロと定義するのであれば、国を標的にしない、違う形でのテロみたいな行動は、このネット上でもあちこちで発生しているじゃないですか。実に嘆かわしい。
だいたいにおいて、こうしたコミュニティの核に居る中心人物はそういった大衆心理や群集心理を熟知していて、わかったうえでやっているケースが多いかと思います。
ですのでタチがわるいなぁと思うのですが、彼らもまた、明確に醜悪な人間というわけではないと思っています。
自分の利益や、居心地のよい空間を作りたい・守りたいということなのでしょう。そしてソコに集まってくる人々を仲間と認識し、我が子のようにかわいがり、その仲間が傷ついたら、枠の外の誰かを敵に認定して徹底的にやっつける。
その攻撃性は、共感能力・やさしさから来ていると考えると、まさに始末が悪いな、だからこそ戦争はなくならないのか……と、悶々とパラドックスのように考える日々です。
おわりに
きょうの記事では、「人間は醜悪な生き物では無い」ということへの気付きと、希望を見出して頂けたらーと言う意図がありました。
けれども、人間の優しさのせいで逆に世界中の争い事が引き起こされ、今後も終わる気配がまったく無い、ソレばかりか人々は大なり小なりしょうもないことで争ってばかりいる。
……という事実を考えると、「世界は破滅へ向かっているのか?」という問いの答えは、少し先延ばししておきましょうか。
それでは、また次回。
参考:Humankind